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チヴィダーレ・デル・フリウリ

チヴィダーレ・デル・フリウーリは、同州の中心の少し東側に寄った地域、フリウリ・オリエンターレ丘陵地帯の麓、ナティゾーネ川沿いに位置します。
非常に歴史ある地域で、旧石器時代及び新石器時代の遺跡がこの町の周辺から発掘されるほど、起源の古い町です。
都市としての形成は古代ローマ時代にまで遡ります。紀元前2世紀の中盤に軍事防衛拠点とされたカストラ(カストゥルム)として築かれました。これをその後受け継ぎ、総督としてジュリオ・チェーザレ(ユリウス・カエサル)により古代都市として繁栄しました。
現在残る同都市の名称は、それにちなみ「チェーザレのフォルム(広場)」というラテン語に由来しています。それを「フォラム・ジュリイ(Forum lulii)」と言い、その名が現在発音される「フリウーリ」の語源ですので、現在の州名の語源となっているということがいえます。

568年にはパンノンニア(古代に存在した地方名で現在のクロアチア、ハンガリー、セルビア、スロヴェニア等にあたる地域)から侵入したロンゴバルド(ランゴバルド)族により形成されたロンゴバルド王国の第一番目の首都として繁栄しました。
都市の名称はこの時代にそして、この当時に残した遺跡は2011年にユネスコの世界遺産として登録されました。

その後、フリウーリ王国の都となり、ランゴバルド王国がフランク王国に滅ぼされる間、フリウーリは、それでも自国の独立を目指し抵抗を続けます。そして、フリウーリ(フォルム・イウーリー)は、「チヴィタス・アウストリアーエ(Civitas Austriae)」として改名されました。その意味するところは、つまりは現代的な言語で発音するならば「チッタ・デッラウストリア(Città dell’Austria)=オーストリア(東の)の都市」として、ゲルマン民族が元となる民族構成となっています。

8世紀後半以降、ローマ都市として建設された古代都市アクレイアが一度は崩壊しながらも再建され、チヴィダーレに拠点を移しています。
1420年にチヴィダーレがヴェネツィア共和国に屈するまでアクレイア総大司教国として神聖ローマ帝国にも認められる立場にありました。
その後は同国がナポレオン率いるフランス軍に敗れる1797年まではヴェネツィア共和国の傘下に、それに続き、オーストリア帝国の一部である、ロンバルド・ヴェネト王国に編入、1866年以降には、イタリア王国の一部となりました。

チヴィダーレと隣り合わせた町として、ヴァッリ・デル・ナティゾーネ(Valli del natisone)があります。高原地帯に続く4つの峡谷から成る地域で豊かな自然の多く残る地域として、急斜面な沢、滝や洞窟などが見られる非常に個性的な場所です。この周辺には、この地域独特の石や岩をつくった小さな家や教会などから成るごく小さな集落の点在する地域で、それに伴う古くからの独特な文化、また集落だけの持つ言語などがいまだ息づいています。継承される伝説が受け継がれ、また恒例な習わしともいえるお祭りなどが小規模で続く独特な文化が残っています。

また、この地域に生まれた、今やフリウリを代表する郷土菓子のひとつ、グバーナ(Gubana)の発祥の地域でもあります。小さな区域内に隠れた名店も存在します。クルミ、松の実、干ブドウなど約15種類の材料を混ぜ、生地で渦巻き状に巻いた焼き菓子は、地元のグラッパに浸していただくのがお勧めです。

訪れるべき場所

ケルト人のヒュポゲウム(地下石室)(イポジェオ・チェルティコ/Ipogeo Celtico)

地下に掘られた地下室ですが、その利用目的などは明確ではありません。埋葬に利用されていた、という説や、古代ローマ人またはルンゴバルド人の時代の牢獄として使われていた、とも言われています。

サンタ・マリア・イン・ヴァッレ小礼拝堂(通称:ロンバルド寺院)

(オルトリオ・ディ・サンタマリア・イン・ヴァッレ/Oratorio di Santa Maria in Valle/Tempietto Longobardo)
中世前期から中期の繁期の建築で、13世紀のつくりと言われるスタッコ(化粧しっくい)は非常に見事なものです。

キリスト教博物館(ムゼーオ・クリスティアーノ/Museo Cristiano)

ドゥオーモに隣接する博物館には、大聖堂の内部を装飾していた様々な美術装飾品が展示してあります。
また、13世紀の建築物であるカッリースト礼拝堂(Battistero di Callisto), 730-740年ごろと言われる、ロンゴバルド王ラトキスの祭壇(Ara di Rachtis)などを訪れることができます。これらはロンゴバルド人の残した当時の彫刻技術の傑作ともいえるものです。

現市庁舎(パラッツォ・コムナーレ/Palazzo Comunale)

現在の建物は、1545-1588年にかけて建築されましたが、それ以前に、1286年にはすでに同地に建築物が存在していたといいます。柱に囲まれた中庭部分は1-2世紀に古代ローマ人の築いた丸屋根を再利用したもので、1793年以降、カフェ・サンマルコとしてこの町の老舗カフェとなっています。

パラッツォ・プレトーリオ(Palazzo Pretorio)

1565-1605年にかけ、ヴェネトの有名な建築家であるアンドレア・パッラーディオにより手がけられました。これは、チヴィダーレ国立考古学博物館(Museo Archelogico Nazionale di Cividale)により管理されていますが、中世の時代の貴重な建築物として保存されています。

悪魔橋(ポンテ・デル・ディアーヴォロ/Ponte del Diavolo)

町の入り口に位置するシンボル的な橋です。ナティゾーネ川にかかる橋で、悪魔と言われる由来には伝説があり、この橋ができあがった際に、悪魔が一番初めにこの橋を渡る人の魂を変えてしまった、という伝説があることから。とはいえ、昔からの言われで、チヴィダレーゼ(チヴィダーレの人)はこのナティゾーネ川に橋をかけるのは、非常に危険だからやめたほうが良い信じ続けていたところ、橋の建築が始まったことで、悪魔がこれを許さなかった、ということから。それに対し、実際のところは、人ではなく、犬を一番の通行人として歩かせたことで、解決させた、というのもそれに続く伝説として残っています。

土地の食文化

主な生産物
ワイン

チヴィダーレは、フリウリを代表するワインの産地です。
フリウリのワイン製造は白ワインが非常に知られているところです。その高いクオリティには定評があり、最近では、メトド・クラッシッコ(瓶内発酵させるシャンパン製法)によるスプマンテ、地元種の赤ワインへの関心も高まっています。土地ならではのオリジナル性の高さがウリです。

注目すべき地元品種としては、白品種のトカイ・フリウラーノ、リボッラ・ジャッラ(ともに白)、赤品種のスキオッペッティーノ、レフォスコ・ダル・ペドゥンコロ・ロッソ(ともに赤)などがあります。その他、国際的品種としての、ピノー・グリージョの質の高さはフリウリのそれはよく大変知られているところです。として、また、ソーヴィニョン、シャルドネ、カベルネ、メルローなどの栽培も盛んです。
伝統的にぶどう栽培の盛んな地域ですが、技術の進化もそれに加わり合わさり、伝統と技術とが相関し、品質的にも安定し優れたものが生産されています。非常に魅力的なワインです。
近年では、この土地の特異性を生かし、オーガニックワインの生産に非常に積極的に取り組んでいる若い生産者もおり、ワイン製造とともに、この土地ならではの貴重なオイーヴオイルの生産も行われています。
これらは、チヴィダーレの自然環境が生み出すものであり、デリケートでエレガント、世界で唯一の個性を持つ非常に希少価値の高い製品が作られています。

オリーヴオイル (Olio d’oliva)

フリウリは、オリーヴオイルのイタリアでの最北の生産地でもあります。生産量こそ多くはありませんが、土地の気候を反映するかのごとく、非常に繊細なオリーヴオイルが生産されています。オーガニックの生産者もおり、注目すべき品種としては、土着品種であるビアンケーラ(Bianchera)という、独特の芳香を持つものがあります。

グバーナ(Gubana)

この地に伝わる伝統的なドルチェ(菓子)があります。「グバーナ(Gubana)」というもので、発酵生地をベースに、それをクルミ、干ブドウ、松の実、レモンの皮を摩り下ろしたものをあわせ、砂糖とグラッパに浸したものを筒状に巻き、さらにぐるぐるとカタツムリのように巻いてオーブンで焼きあげるものです。もともとは、ナターレ(クリスマス)やパスクア(イースター)、他、結婚式や収穫祭など人の多く集まるイベント時に欠かせないものでした。
1409年には、ローマ法王グレゴーリオ12世がチヴィダーレを訪れた際にこのドルチェが振る舞われたという文献も残っています。
「グバーナ」という名前は、その個性的な形に由来していると言われています。スロヴェニア語でいうピエーガ(=折りたたんだ)という意味をもつ「グーバ(guba)」という言葉が現在残る「グバーナ」という名前に繋がっているものとされています。また、他説としては、この土地、ナティゾーネ渓谷地域に住む人々に多く見られた苗字「グバーナ」から由来したもの、とも。
1990年には、この土地にて、グバーナの生産組合も発足し、土地ならではの伝統菓子として、その製法を守ろうとする意識が生産者たちの間にて高まっています。
今や、同州の代表的菓子として広まっていますが、そのオリジナルはスロヴェニア国境にほど近い、ヴァッリ・デル・ナティゾーネ(Valli del Natisone)という小さな地区です。この地区には、小さなグバナフィーチ(グバーナの生産者)が点在しており、土地の人はそれぞれにお気に入りのグバーナがあります。

ストゥルッキ(Strucchi)

グバーナに使う中身を、薄く伸ばした生地にラヴィオリのようして包みこみ、油で揚げた菓子です。一口大の小さな形なのが一般的です。昔は豚の脂で揚げていましたが、現在では軽く仕上げるために、植物性油で、またはそこに一部バターを加えて揚げます。
グバーナを扱う店では必ず見かけるお菓子です。

土地の料理

フリコなどのフリウリで知られる料理などはもちろんですが、砂地な土壌であるこの地によく生育する春の野草、スクロピト(Sclopit)のリゾットやオムレツ、たっぷりの野菜とオルゾ(大麦)とのミネストラなどがあります。
スロヴェニアとの国境に近いこともあり、スロヴェニア料理がベースとなる料理を提供するレストランなどもあります。

チヴィダーレ・デル・フリウリ市の街歩き地図