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土地の歴史と特徴

フリウリの歴史

ジュリオ・チェーザレフリウーリという名の由来は古代ローマ時代にこの地方を治めていたジュリオ・チェーザレ(ユリウス・カエサル)にあります。紀元前1世紀ごろが彼が統治していたこの地は「Forum lulii(フォールム・ジュリイー=チェーザレの広場)」と呼ばれており、それに因んで現地名として受け継がれています。ちなみにこの「フォールム・ジュリイー」という都市は、現在のチヴィダーレ・デル・フリウーリにあたります。

また、ヴェネツィア・ジュリアという地方名には、ローマ帝国時代に「ヴェネティア・エト・ヒストリア (Venetia et Histria)」という行政区分とされていたことに由来します。これは、5世紀にこの地方の海岸部分に当時の重要都市として築かれたアクレイアを襲ったフン族により、都市が崩壊した後に築かれた地方区分です。

時代を大きく近代に転ずると、イタリア王国建国の1861年よりも遅れ、1866年にヴェネト州とともにイタリア王国に編入しましたが、ヴェネツィア・ジュリア地域はその際にもオーストリア・ハンガリー帝国の統治下に留まりました。第一次世界大戦中に同地区地区の統治権をめぐりオーストリア軍との激しい戦いの末、イタリアに編入しましたが、第二次世界大戦時までも領有問題は懸案事項として続いていました。

文化はもとより建築物、言語なども現在も隣国の影響を強く残しているのも、それまでの領土や統治を巡る経緯によることがわかります。

地形的な各地域の特徴

歴史的な区分のほか、地形的な特徴も州内において違いがあるのが、同州の特徴です。
州内は大きく4つに区分され、標高1000-2000m級の高原地帯と、標高700-800mの丘陵地帯、そして平野部と海岸地域とが混在しています。自然が造り出した様々な特性のある地方といえます。
そして、この地域の住人はそのオリジナルをゲルマン民族及びスラブ民族としており、この地において北方民族とラテン民族の文化が融合、独特の文化が築き上げられてきた地域でもあります。

高原地帯/ドロミーティ山岳地帯の一部

カルニア地域など。
高原地帯は同州のなかの最も北部に位置します。スロヴェニアと隣接した国境の地域です。ドロミーティ・フリウラーネとして山岳地帯として渓谷などの自然環境を持つこの地域からは、タリアメント(Tagliamento)や、フェッラ(Fella)などという川の水源ともなっています。
この地域は特にカルニアと呼ばれ、この地方独特の伝統的な食文化も息づいています。IGP(地理的表示保護)認定されている、低温燻製したプロシュットの産地であるサウリスはこの地域に位置します。

丘陵地帯/スロヴェニア国境地域

サンダニエーレなど。
丘陵地帯として含まれる地域は、周囲を高原・山岳地帯に囲まれ、スロヴェニアと国堺ともなる地域です。この地方の有名な産物としては、DOP(原産地名称保護)認定のサン・ダニエーレのプロシュット(生ハム)や、クオリティの高い白ワインの生産が挙げられます。両者ともその美味しさと質の良さで世界的にも知られており、これらプロシュットとワインとの相性も抜群に良いです。
ワインの生産としては、ポンカという土地独特の硬い粘土砂岩により形成される土壌をもつ、スロヴェニア国境であるコッリオ地区やイゾンツォ地区、コルモンスやプレポット、チヴィダーレ・デル・フリウーリにあたるコッリ・オリエンターレ・デル・フリウーリ地区などが特に良質のワインの産地として知られており、造り手も多い地域にあたります。

平野地域/ヴェネト州から続く平野地帯

平野地域は、丘陵地帯の麓からアドリア海沿岸にまで続く地域をさし、ヴェネト-フリウリ平原と広く称されています。そのうち、同州にかかる地域は、特にフリウリ平野とも呼ばれます。
同地域内でも丘陵地に近い北部とそこから沿岸まで続く平野では、気候の差などが大きく見られます。
北部側は、河川の流れが見られ、年間を通して特に雨量の多い地域です。
南部側の平野部は、アクレイアを代表するように、歴史的に文化の発達してきた地域です。文化の発祥には、水の流れが重要な要素となりますが、この地もその例外でなく、河川の流れとともに、この地域にみられる地下からの湧き水も文化・歴史に恵みを与える要素となっています。

沿岸地域/アドリア海沿岸地域

沿岸地域としては、グラードやリニャーノといった海岸に面した都市があります。沿岸部は北部、スロヴェニア国境へと続くもので、州都であるトリエステも含まれます。
トリエステ郊外のグロッタ(鍾乳洞)は、同地域の土壌及び地下水などが流れる地形により、長い長い年月を経て築き上げられた偉大な自然の力によるものです。